南部孝一の歴史再発見


「はじめに」


@「丹那トンネル」


A「丹那トンネル工事と西口軽便線」(取材中)


B「三島女郎衆」と「瘡守(かさもり)稲荷」の信仰


C「文學カヲル三嶋〜青春ノ太宰治〜」の文献・現地調査に行く!!


D「三島市立図書館文学講座」講聴記


E「三島における太宰治の足跡」


F「文學カヲル三嶋〜青春ノ太宰治〜」雑記


G「さくら棒の謎を追え」


H「さくら棒の新たな展開」(2012年4月取材)


I「製糸から電鉄へ 駿豆電気鉄道(株)」


J「金鵄ミルクとキリスト教」(取材中)


K「森永太一郎と国産ペニシリン「碧素1号」(取材中)


L「ヘダ号と日本の造船技術の夜明け」(取材中)


M「映画館がなくなった日」(2012年6月公開、順次更新します。)

 1985年(昭和60年)8月31日、最後まで営業していた三島市南本町の「明宝劇場」「有楽座」と同本町の「セントラル劇場」が閉館することになります。これで、大正、昭和と文化のまち「三島」を支えてきた映画館がすべて姿を消すことになりました。

「何故、人口10万の都市から映画館が消滅してしまったのか?」テレビの普及とともに映画産業が斜陽化していった時代、三島には特異な要因があった?筆者の独断で解き明かします!!


「三島美人コンテストの歴史」(取材中)


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