南部孝一の歴史再発見
「はじめに」
A「丹那トンネル工事と西口軽便線」(取材中)
J「金鵄ミルクとキリスト教」(取材中)
K「森永太一郎と国産ペニシリン「碧素1号」(取材中)
L「ヘダ号と日本の造船技術の夜明け」(取材中)
1985年(昭和60年)8月31日、最後まで営業していた三島市南本町の「明宝劇場」「有楽座」と同本町の「セントラル劇場」が閉館することになります。これで、大正、昭和と文化のまち「三島」を支えてきた映画館がすべて姿を消すことになりました。
「何故、人口10万の都市から映画館が消滅してしまったのか?」テレビの普及とともに映画産業が斜陽化していった時代、三島には特異な要因があった?筆者の独断で解き明かします!!
「三島美人コンテストの歴史」(取材中)