「さくら棒」の新たな展開

 

 2012年3月22日(木)に放送された「秘密のケンミンSHOW(日本テレビ系)(21時00分〜22時48分)」の最後のコーナー「KENMIN BRAND 私たちはこのお菓子で育ちました。」で全国のご当地お菓子を紹介していました。         静岡県代表として御殿場市(県東部地方)出身のタレント、勝俣州和さんが「さくら棒」を紹介していました。

注「さくら棒」とは、主に静岡県内で販売されている地域限定の麩菓子で表面に白糖を使用した糖蜜がコーティングされている。名前の由来は、ベースとなるお麩がピンク色をしていることから付けられた。形状は長いもので直径が80センチのものがある。

「三嶋大社参道前にある駄菓子屋の店先で売られている「さくら棒」」


 まさかと思い以前取材させていただいた三島食品(株)の伊丹社長にご連絡をしてみると・・・

筆者「ご無沙汰しております。今回も突然ご連絡してしまい申し訳ありません。先日、テレビ番組で「さくら棒」が紹介されていたのですが、もしかして伊丹社長の商品ではないでしょうか。」


伊丹社長「ご無沙汰しております。よく分かりましたね。テレビ局の方から「番組内で、ご当地お菓子の企画があるのでご協力をお願いしたい。」とご連絡がありました。」


筆者「やぱりそうでしたか。・・・でも、県内には他にも業者さんがあるのに、どうして伊丹社長のところに依頼があったのしょう。」


伊丹社長「それは分かりません。」


筆者「以前、フジテレビの番組で紹介された時、ご自身も出演されていましたが、それが多少なりとも影響しているのでしょうか。」


伊丹社長「それは分かりません。」


 話を聞いていくと改めてテレビの影響力の大きさに驚いたそうです。テレビで「さくら棒」が紹介されてから各方面からの問い合わせが殺到したそうで、現在も新商品の開発依頼や新規の商品発注に対応する為に、毎日フル生産で対応しているそうです。


(ここからはインタビューしたものを筆者が採録して文章化しています。忠実に再現しましたが、社長の仰られた意味と多少違う意味合いになっている部分もありますのでご了承ください。)


Q「テレビで紹介されてから、環境の変化はありましたでしょうか。」


伊丹社長「正直なところ、テレビの影響力にビックリしています。放送終了後、生産量はOEM商品を含めると一・五倍にはなっているでしょうか。現在、二台ある機械をフル稼働させて対応していますが、一日に製造できるのは最大でも500本が限度です。」


 前回の取材では、現在、使用している機械は、富士宮市の老舗A製麩所から譲り受けたものであるということでした。                         ですから、すでに何十年も現役で活躍していることになります。本体自体の耐用年数がどのくらいなのか分かりませんが機械の状況についてお聞きしてみました。


Q「現在、機械の状態はどうなんでしょうか。」


伊丹社長「現在まで何度か部品の交換をするなどはありましたが、金属製品などを製造するプレスや旋盤などの工作機械とは違い、故障の原因となるのは磨耗する部品だけですから大掛かりなオーバーホールはありませんでした。それに一年に何回かメンテナンスしていますから。」


「麩菓子を製造する機械」


Q「故障の対処はどうなさっているのですか。」


伊丹社長「機械ですので、メンテナンスしていても故障することはあります。主に部品の磨耗によるものです。現在、二台稼動していますが、繁忙期、例えば三月〜四月のお花見、夏から秋にかけてのお祭シーズン、あと年末などは、フル稼動させて製造しますので故障は気になります。故障した場合、通常ですと、まず見積もりをとって修理を依頼することになりますが、それでは、こちらの納品が間に合わなくなってしまいます。 ですから最近では部品と修理マニュアルを送っていただいて自分で修理するようにしています。」


「麩菓子を製造する機械」


Q「修理を依頼される機械メーカーさんとは」


伊丹社長「現在、使用している機械の製造メーカーさんです。相手の社長さんにご迷惑が掛かるといけないでの、東海地方のY機械とだけ・・・機械を製造しているのは国内では数社だけになってしまいました。」


Q「もし、その社長さんが廃業してしまうとなったらどうなさいますか。」


伊丹社長「それは心配ですね。現在、全国で「麩菓子」を製造している業者さんは、そんなに多くないでしょうから、もし後継者の方が機械製造を引き継がれても経営的には難しいでしょうね。それに機械自体がハンドメイドで特殊なものですから、その製造技術を習得するのにも時間が掛かるでしょう。                    ですから、もし、そのような状況になったら、新しく機械を購入して修理用の部品もストックしなくてはならないでしょう。現在、フル稼働状態ですので不意の故障が一番心配です。故障した場合、すぐに依頼しても部品が到着するには一日〜二日はかかります。その間は、もう一台で製造をしなくてはなりません。納品を遅らせる訳にもいきませんので修理が完了したら従業員には残業で対応してもらっています。でも、みんな快く引き受けてくれますので助かっています。」


Q「話は戻りますが、テレビで紹介されてから、各方面から問い合わせがあったそうですが。」


伊丹社長「改めてテレビの影響力に驚かせられました。放送後、いくつかの物産企画会社からご依頼がありました。某テレビ局で放送している番組でよく取り上げられている地域限定商品同様に、その存在を知って、地域の名所、旧跡や特産品とコラボレーションした商品の企画、製造依頼がありました。さくら棒は全国展開している商品ではありませんので知名度はありませんでしたから。                    あと、近隣から幼稚園のバザーや敬老会の方々が「お祭で販売したい。」など、ご要望をいただいております。」


Q「さくら棒のネーミングについて」


伊丹社長「「さくら棒」というネーミングにはこだわっていません。当然、ご提案された地域に合ったネーミングで販売していただければ良いと思います。         商品開発の依頼には積極的に応じています。麩菓子は昔懐かしい伝統的なお菓子ですが、アイデアによっては無限の可能性がある商品だと思うんです。」


Q「観光地でインパクトのある商品として」


伊丹社長「観光地などの土産物の商品企画会社からのご提案などもあります。     奇異な感じもしますが、麩菓子をベースとして、その地域に合った商品であればいいんじゃないかと思っています。                          ですから、ご提案された規格に沿った商品を開発するよう努力しています。基本的にはうちの商品が地域経済の活性化に役立てばと考えていますから。          子供さんから年配の方まで幅広く愛されている商品ですので、お土産としても最適じゃないでしょうか。お値段もそんなに高額ではないですし・・・あとは、それぞれの観光地特有のネーミングを考えていただければ・・・。」


Q「商品開発に当たってのご苦労はありますか。」


伊丹社長「商品開発で一番苦労するのは、糖蜜とフルーツ果汁とのマッチングをどうするかですね。これは何度も試作します。果汁本来の味と風味を損なわないように、どのように糖蜜をマッチングさせるかが企業秘密ですかね。               自分の納得した商品でも先方のイメージと違う場合などもあり商品開発には苦労しています。                                    フルーツをベースとした味になりますが、麩菓子自体には味がありませんので、その分、フルーツの味が強調されてインパクトのある商品になると思います。       現在、種類としてはイチゴやミカンなど漠然としたものになっていますが、例えばゆず、ネーブル、レモン、洋ナシ、さくらんぼなどインパクトのあるフレーバーの商品があってもいいのではないでしょうか。」


Q「業界の展望については」


伊丹社長「どの業界でも一緒だとは思いますが、気がついたら「うちがオンリーワンの会社になっていた。」何てことにもなりかねない状況ですね。聞いた話なんですが、昔、この三島市にもお麩を製造していた方がおられたようです。やはり、この方も高齢ということで廃業されたそうです。個人であれ組織であれ、それを継承する人がいなければ、その時点で終了ということになりますから・・・。              前回、お話ししなかったのですが、この仕事を始める時、正直なところ富士宮市の老舗A製麩所が廃業されることを聞いた時点では即断できませんでした。確かに会社の新たな事業展開について思い悩んでいた時期でしたが、「本当に麩菓子で採算が取れるのか。」半信半疑な部分もありましたから。                     でも、今ではやってよかったと思っています。この商品には夢がありますよね。幼少の頃、子供にとって駄菓子は憧れじゃないですか。昔は学校の近くに必ず駄菓子屋さんがありました。学校帰りには必ず集まっている子供たちの姿がありました。そこには子供たち独特のコミニュケーションの場があり社会の秩序みたいなものを学んでいたように思います。                                  私が幼少の頃、近所の駄菓子屋さんには、駄菓子と一緒に鉄板もありました。今では有名になった「富士宮焼きそば」をはじめ「お好み焼き」「静岡おでん」などは一年中ありました。夏場になると「かき氷」「ところてん」「ラムネ」など、当時はどれも30円から高くても50円程で手軽に食べられました。もちろん子供向けなのでサイズはそれなりの大きさでしたが。(笑)ですから今ではB級グルメとして有名になった「富士宮焼きそば」や「静岡おでん」は当たり前のように食べていました。        前にもお話ししましたが、わたしの出身は富士宮市と隣接した富士市の鷹岡地区というところでしたので、地理的にも、そういう環境にあったんだと思います。      ですから、さくら棒を製造することを決断した時は、「ああ、きっとわたしにも、その当時の記憶が体に染み付いていたんだ。」と実感しました。」


Q「伊丹社長の今の心境は」


伊丹社長「この業界も経営者の高齢化が深刻な問題になっています。現在、現役で活躍されている方々の中にも御高齢の方が沢山おられます。いつ廃業される方が出てきてもおかしくありません。                              ですから後継者の育成というと大袈裟になってしまいますが、この商品を存続させていくには後継者が必要になると思っています。幸いなことに、わたしのところは三代目がいますので幸運ではないでしょうか。                      仮定の話ですが、会社の新規事業や脱サラして「さくら棒」の製造をやってみたいという方がおられたら喜んでご相談にのります。(製造機械の購入方法や製造方法など) ただ、前回のインタビューでもお話ししましたが、製造するにはそれなりの熟練した技術が必要になります。技術を習得するまで大変かもしれませんが、どんな仕事でも最初からプロフェッショナルはいませんから、最終的にはやはり「ヤル気」と「根気」だと思います。」


Q「興味のある方の見学は自由ですか」


伊丹社長「製造工程はいたってシンプルです。製造過程でお見せできないような企業秘密などありませんから、見学に来られた方には作業の邪魔にならなければお見せしています。                                     ただし、食品を扱っていますので衛生面に配慮していただくことが前提になりますが。」


Q「今後の抱負について」


伊丹社長「私も50代ですが、サラリーマンと違って定年はありませんから体の続く限りは、頑張っていきたいと思っています。                     これからもご依頼があればご依頼主の地域活性化に貢献できるような商品展開をしてきたいと考えています。                             現在は「さくら棒」がクローズアップされた形になっていますが、昔から本業の麺商品を味わっていただこうと工場に併設した「華福」という食堂で自慢のそばや手打うどんを使ったメニューを提供しています。営業時間はランチタイムの午前11時30分から午後2時00分までですが、ご好評をいただいておりますので、ご見学の際はお立ち寄りください。」


「ランチタイムには近隣の会社員で賑わう、そば、手打ちうどんの店「華福」。本社工 場の2階に併設されている。」


 今回もお忙しい中、貴重な時間を割いてインタビューに応じていただいた伊丹社長に感謝いたします。                                これは筆者の素人考えなのですが、「さくら棒」との面白いコラボレーションとして、駄菓子では有名な「梅ジャム」を使った甘酸っぱい梅味があってもいいんじゃないかと思います。一般的にはミルクせんべいに塗って食べますが、麩菓子にも合いそうな気がします・・・ご一考を。


伊丹社長の挑戦はこれからも続きます。             

                                南部孝一


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