映画館がなくなった日


 みなさんも一度は映画館に足を運んだことがあると思います。小さい頃、親に連れられて観た「東映まんがまつり」や「戦隊ヒーローもの」など映画館デビューは、懐かしさとともに今でも鮮烈に記憶していることと思います。

 昔から、その街の文化のバロメーターとして映画館の存在がありました。街の繁華街には必ずといっていいほど娯楽の殿堂「映画館」があり近隣を賑わしていました。

 戦後、高度経済成長とともに人々のライフスタイルも変化し大衆の娯楽として「テレビ放送」が台頭してくると映画は斜陽の時代をむかえるようになります。

 三島から映画館が消滅した1985年(昭和60年)、全国の映画館数(スクリーン数)は4,649館。その後も減少を続け1993年(平成5年)には1,734館までになってしまいます。

 しかし、減少傾向にあった1985年(昭和60年)、映画館運営の新たな手法として「シネマコンプレックス(同一の施設に複数のスクリーンがある映画館のこと)」が登場し成功を収めると外資系の参入が相次ぎ映画館数も増加に転じていきます。

1997年(平成9年)、12年ぶりに郊外の三島市梅名(国道136号線沿線)に沼津市で事業展開している東部事業株式会社が、「ジョイランドみしま」内に映画館、6スクリーン(1,007席)を開館し復活を果しました。(郊外型であるため、市内の中心部からは距離があります。)

 今回は、大正、昭和と文化のまち「三島」を支えてきた映画館が「何故、消滅してしまったのか?」                                 筆者の独断で解き明かしていきたいと思います。

まずは、「三島の劇場(芝居小屋)、映画館(活動小屋)の変遷」を見てみましょう。

順次、更新していきます。


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